許すことは、相手のためじゃなく、自分のため

昨日の出来事が、まだ胸の奥でチクチクしています。
コロナの件で誠実に伝えたつもりなのに、ひとりだけ冷たく扱われた。その瞬間、「なんで自分だけ?」という思いが込み上げ、夜になっても心がざわついていました。

人間関係の痛みは、仕事でも家庭でも避けられません。
けれど、傷ついた心をどう扱うかで、その後の人生の軽さが変わっていく気がします。

嫌いな人ができてしまうとき

誰かに冷たくされたとき、私たちは自然に「嫌い」という感情を持ちます。
でもそれは、悪いことではありません。自分を守るための正しい反応でもあるんです。

無理に仲良くしようとすると、余計に心がすり減ります。
「距離を取る勇気」もまた、やさしさの一つだと感じます。

許すことは、相手のためじゃない

許すというと、「相手の行為を受け入れる」ことだと思いがちですが、そうではありません。
許しとは「もうその出来事に、自分の時間とエネルギーを奪わせない」という宣言。

相手を変えることはできません。でも、反応を選ぶ自由は自分にあります。
「あの人のせいで苦しい」から、「自分の心を守るために、手放す」へ。

「許すとは、相手を自由にすることではなく、
自分の中の怒りを手放し、自分を自由にすること。」

── 小林正観(意訳/著作全般の趣旨より)

この考え方に触れて、少しだけ肩の力が抜けました。
許すことは、相手のためじゃなく、自分の心を軽くするための選択なのだと思います。

自分のための“手放し”を

嫌いな人を無理に好きにならなくていい。
許せないままでもいい。ただ、その出来事に支配されない自分でいたい。

心の痛みは、時間がたてば少しずつやわらぎます。
そしてその過程こそが、“自分を大切にする練習”なのだと思います。

許すことは、相手のためじゃなく、自分のため。
今日も少しだけ、自分の心を軽くして生きていけますように。