労災が不支給でも会社の責任が認められることはある?|実際の裁判例を調査

「労災が不支給になったということは、会社にも責任がないということですか?」
結論からいうと、そうとは限りません。
労災保険の不支給決定と、会社に対する損害賠償請求は、 判断する制度も、問題となる要件も異なります。
実際に裁判例を調べると、労災では不支給となった後に、 民事裁判で会社側の責任が認められた事例も確認できます。
一方で、ここには注意が必要です。 インターネット上で「労災不支給でも民事で勝った事例」として紹介できそうに見える事件でも、 実際には労災申請をしたか不明だったり、当初の不支給処分が後に取り消されていたりするケースがあります。
そこでこの記事では、公開されている判決・公的資料等を確認しながら、 「労災不支給」と「会社の損害賠償責任」がなぜ異なる結論になり得るのかを整理します。
この記事のポイント
- 労災不支給=会社に責任なし、ではありません。
- 労災認定=会社に過失あり、でもありません。
- 労災保険と民事損害賠償では、判断する内容が異なります。
- 実際の「不支給→会社責任認容」を確認できる公刊例は、今回の調査では多くありませんでした。
- 2025年の最高裁判決でも、認定基準と民事責任を同一視できないことが示されています。
動画で解説|労災が不支給でも会社の責任は認められる?
労災不支給と会社の損害賠償責任がなぜ別の結論になり得るのか、実際の裁判例をもとに解説しています。
労災が不支給でも、会社の損害賠償責任が認められることはある?
労災が不支給になったからといって、 それだけで会社に対する損害賠償請求の可能性が直ちになくなるわけではありません。
まず押さえておきたいのは、 労災保険と会社への損害賠償請求は別の制度だということです。
| 比較 | 労災保険 | 会社への損害賠償 |
|---|---|---|
| 主な問題 | 業務と疾病・負傷・死亡との関係 | 会社に安全配慮義務違反や不法行為等があったか |
| 会社の過失 | 原則として労災認定そのものの要件ではない | 重要な判断要素になる |
| 予見可能性 | 会社の民事責任を判断する場合とは位置付けが異なる | 会社が危険を予測できたかが問題になる |
| 結果回避可能性 | 会社の過失として直接判断する制度ではない | 業務軽減・配置変更などで結果を回避できたかが問題になる |
そのため、
労災不支給 = 会社に責任なし
とは限りません。
労災認定 = 会社に過失あり
とも限りません。
1分で解説|労災不支給なら会社に責任なし?
実際に「労災不支給→会社責任」が認められた事例
NTT東日本北海道支店事件
今回確認した公開資料の中で、 労災の不支給決定後に、民事裁判で会社側の責任が認められたことを明確に確認できた中心的な事例 がNTT東日本北海道支店事件です。
この事件では、重い心疾患を抱えていた労働者が、 会社の事業構造改革に伴って、それまで経験のなかった法人営業の研修に配置されました。 札幌や東京で2か月以上にわたる宿泊研修に参加した後、急性心筋虚血で死亡しました。
旭川労働基準監督署長は2004年7月12日、 遺族補償年金および葬祭料を不支給としました。
しかし、その後の民事裁判では別の問題が検討されました。
- 本人には重い心疾患があった
- 会社は本人を「要注意」の健康管理区分として把握していた
- 原則として宿泊出張をさせない取扱いとなっていた
- 主治医から十分な情報を取得しないまま長期宿泊研修に参加させた
- 出張期間の短縮などの条件設定が十分に行われなかった
差戻審の札幌高裁は、健康管理医が適切な意見を述べるために必要な情報が十分に共有されないまま、 宿泊を伴う研修への参加が判断された点などを踏まえ、会社側の健康管理上の注意義務違反を認めました。
また、死亡原因の大部分には本人の基礎疾患が関係していたものの、 宿泊出張による疲労が基礎疾患を自然的経過を超えて増悪させた部分について、 30%の寄与があると評価されました。
これは「会社が30%悪かった」と単純に決めたという意味ではありません。 裁判所が、基礎疾患による影響と、研修・宿泊出張による負荷の影響を区別し、 損害のうち会社に負担させる範囲を調整したものです。
ポイントは、「一般的な労働者にとって研修がどの程度過重だったか」だけではなく、 会社が本人固有の健康上の危険をどこまで把握し、それに対して何をすべきだったか が民事裁判では問題になったことです。
参考:札幌地裁2005年3月29日判決、札幌高裁2006年7月20日判決、 最高裁第一小法廷2008年3月27日判決、差戻審札幌高裁2009年1月30日判決
精神障害・自殺ではどう考えられている?
今回の調査では、 今回の調査では、精神障害・自殺について「実際に労災・公務災害が不支給となり、その不支給が維持されたまま民事で会社等の責任が認められた」ことを、公開資料から明確に裏付けられる事例は見つかりませんでした。
ただし、労災・公務災害の認定基準と民事上の責任は同じではないことを示す重要な裁判例があります。
北海道公立高校教諭自殺事件
北海道の公立高校教諭が、先輩教諭から度重なる注意を受け、 うつ状態となった後に自殺した事案です。
裁判では、校長・教頭が本人のうつ状態を認識しながら、 先輩教諭との接触を減らすなどの対応を十分に取らなかったことなどが問題となり、 北海道側の責任が認められました。
この事件で重要なのは、 災害補償制度における業務起因性と、民事上の因果関係は、制度目的や判断対象が異なる という考え方が示された点です。
ただし、この事件について今回確認した公開資料からは、 遺族が実際に公務災害請求を行って不支給処分を受けたことまでは確認できませんでした。
「行政側が認定基準上は業務起因性がないと主張した事件」と、 「実際に労災・公務災害を申請して不支給処分を受けた事件」は同じではありません。
2025年、最高裁も「認定基準だけでは決まらない」と判断
静岡県警警部補自殺事件
さらに重要なのが、最高裁第二小法廷2025年3月7日判決です。
静岡県警の警部補が、交番長業務、連続窃盗事件への対応、 実習生の指導、異動の引継ぎ、海外研修準備などを抱え、 精神疾患を発症して自殺した事案です。
自殺直前1か月の時間外勤務は112時間を超えていました。
最高裁は、使用者側の損害賠償責任を判断する際に、 公務災害等の認定基準に含まれる医学的・専門的知見を参考にすること自体は否定していません。
しかし、 認定基準の要件に該当しないことだけを理由として、直ちに損害賠償責任を否定することはできない という考え方を示し、原判決を破棄して差し戻しました。
この事件についても、今回確認した資料から 「公務災害の不支給処分が確定していた事件」とまでは確認できません。
したがって、「公務災害不支給から民事で逆転した事件」と紹介するのではなく、 認定基準と民事責任の判断が同一ではないことを示した重要な最高裁判決 として理解するのが適切です。
参考:最高裁第二小法廷2025年3月7日判決 (令和5年(受)第927号・第961号)
逆に「労災認定=会社に賠償責任」でもない
マツヤデンキ事件
反対方向の事例もあります。
マツヤデンキ事件では、勤務中に同僚らから暴行を受けた労働者について、 労働基準監督署長がPTSD等を業務上のものとして労災給付を支給しました。
ところが民事裁判では、 労災が認定されたからといって、会社の安全配慮義務違反まで当然に認められるわけではない と判断されました。
大阪高裁は、暴行が偶発的・突発的だったことや、 会社が以前から暴力的な指導を把握していたとは認められないことなどから、 PTSD等について会社の安全配慮義務違反を否定しました。
ただし、この事件を 「労災は認定されたが、会社への損害賠償請求は全部棄却された」 と紹介するのも正確ではありません。
身体的暴行そのものについては、会社の使用者責任が一部認められました。
正確には、
労災ではPTSD等を業務上と認定
↓
民事ではPTSD等について会社の安全配慮義務違反を否定
↓
ただし、身体的暴行について限定的な使用者責任を認容
裁判例を比較すると違いが分かる
| 事件 | 労災・公務災害 | 民事判断 | この記事での分類 |
|---|---|---|---|
| NTT東日本北海道支店 | 遺族補償年金等を不支給 | 会社の健康管理上の責任を認容 | A:不支給→民事認容を確認 |
| 北海道公立高校教諭 | 実際の申請・処分は今回未確認 | 北海道側の責任を認容 | B:制度上の判断の違いを示す |
| 静岡県警警部補 | 実際の公務災害処分は今回未確認 | 最高裁が原判決を破棄し、認定基準だけでは責任を否定できない判断枠組みを示して差し戻し | B:認定基準と民事責任の違いを示す |
| 東芝うつ病 | 当初不支給→後に取消し | 会社の安全配慮義務違反を認める方向で最高裁が原判決の一部を破棄し差戻し | C:最終的な不一致例ではない |
| マツヤデンキ | PTSD等を労災認定 | PTSD等の安全配慮義務違反を否定 | D:労災認定と民事責任範囲が異なる |
東芝うつ病事件を「不支給なのに民事勝訴」としてはいけない理由
精神障害の労災や会社責任を調べると、東芝うつ病事件もよく登場します。
この事件では、熊谷労働基準監督署長が当初、 休業補償給付等を不支給としました。
しかし、その後の行政訴訟で業務起因性が認められ、 不支給処分自体が取り消されています。
その後の民事訴訟でも会社の安全配慮義務違反が争われ、 最高裁は損害賠償請求に関する原判決の一部を破棄して東京高裁へ差し戻しました。
つまり、 「労災不支給のままなのに民事では会社責任が認められた事件」 ではありません。
当初は不支給だったものの、その不支給自体が後に覆った事件 と整理する必要があります。
なぜ労災と民事裁判で結論が違うことがあるのか
一番大きな理由は、 それぞれの制度で判断していることが違うからです。
労災保険で問題になること
- 業務と疾病・負傷・死亡との間に関係があるか
- 業務に内在・随伴する危険が現実化したと評価できるか
- 精神障害では、業務による心理的負荷をどのように評価するか
- 業務外の心理的負荷や個体側要因をどのように評価するか
会社への損害賠償で問題になること
- 会社がどのような安全配慮をすべきだったか
- 会社が健康悪化や自殺等の危険を予測できたか
- 業務軽減や配置変更などによって結果を回避できたか
- 必要な措置を会社が怠ったか
- その義務違反と疾病・死亡との間に因果関係があるか
- どの範囲の損害を会社に負担させるべきか
この違いがあるため、 同じ出来事を扱っていても結論が完全に一致するとは限りません。
「不支給」「未申請」「後に取消し」は分けて考える
裁判例を調べる際には、ここを混同しないことが重要です。
| 状態 | 意味 |
|---|---|
| 不支給 | 実際に申請し、不支給処分を受けた |
| 未申請・不明 | 資料から申請・処分の有無を確認できない |
| 当初不支給→取消し | 最初は不支給だったが、その後の審査・訴訟等で処分が覆った |
| 労災認定 | 労災保険上は業務上と判断された |
特に、労災申請をしたかどうか確認できない事件を 「労災不支給でも会社責任が認められた事例」 と紹介してしまうと、事実関係が変わってしまいます。
労災が不支給だった場合、どんな資料を残しておくべき?
労災不支給後に審査請求や民事上の対応を検討する可能性がある場合には、 関係資料を安易に処分しないことが大切です。
- 労災の不支給決定通知書
- 労基署へ提出した申立書・別紙・添付資料
- 審査請求・再審査請求関係書類
- 会社とのメール・LINE・チャット
- 勤怠記録・タイムカード・PCログ等
- 業務指示や配置転換に関する資料
- 面談記録・録音・メモ
- 診断書・診療録などの医療資料
- 会社が本人の体調を把握していたことが分かる資料
ただし、どの法的手段が適切かは事案によって異なります。 損害賠償請求そのものについては、必要に応じて弁護士への相談も検討してください。
よくある質問
Q. 労災が不支給なら、会社への請求を検討しても難しいですか?
不支給決定があることだけで、民事上の請求の可能性が直ちになくなるわけではありません。 労災保険と損害賠償では判断する要件が異なります。 ただし、民事では会社の安全配慮義務違反、予見可能性、結果回避可能性、因果関係などを別に検討する必要があります。
Q. 労災が認定されたら、会社への損害賠償請求も認められますか?
自動的に認められるわけではありません。 労災保険は、会社の故意・過失を認定要件とする制度ではないためです。 マツヤデンキ事件のように、労災認定と民事上の会社責任の範囲が異なった事例もあります。
Q. 労災の認定基準に当てはまらなければ、損害賠償も無理ですか?
それだけで直ちに決まるわけではありません。 2025年3月7日の最高裁判決でも、認定基準に含まれる専門的知見を参考にすることはできる一方、 基準の要件に該当しないことだけをもって損害賠償責任を否定することはできないという考え方が示されています。
Q. 労災不支給後は、まず何を確認すればいいですか?
まず、不支給理由と、労基署がどの事実を認め、どの事実を認めなかったのかを確認することが重要です。 審査請求を検討する場合には期限もありますので、通知を受け取ったまま長期間放置しないよう注意してください。
まとめ|労災不支給と会社の責任は分けて考える
今回、公開されている裁判例や公的資料を確認したところ、 労災が不支給となった後でも、民事裁判で会社側の責任が認められた事例は確認できました。
ただし、「労災不支給→民事勝訴」という関係を明確に原典から確認できる公刊例は、 今回の調査では決して多くありませんでした。
また、反対に、労災が認定されたからといって、 会社の安全配慮義務違反や損害賠償責任が当然に認められるわけでもありません。
労災不支給 = 会社に責任なし、ではない。
労災認定 = 会社に過失あり、でもない。
大切なのは、労災保険の判断と民事上の会社責任を混同せず、 それぞれの制度で何が判断されたのかを具体的に確認することです。
特に精神障害の労災では、発病時期、業務による心理的負荷、 会社が本人の体調をどこまで把握していたか、 その後どのような対応を取ったかなど、個別の事実関係が重要になります。
労災の不支給・審査請求についてご相談いただけます
「なぜ不支給になったのか分からない」
「審査請求を検討している」
「労基署がどこを評価しなかったのか整理したい」
不支給決定通知書や申請資料を確認しながら、 労災手続上、どの事実や資料が争点になっているかを整理できます。 民事上の損害賠償請求・示談交渉・訴訟代理については、 必要に応じて弁護士への相談をご案内します。
ご相談方法を確認する※会社に対する損害賠償請求・訴訟代理等の法律事務については、必要に応じて弁護士へご相談ください。
主な出典・裁判例
- NTT東日本北海道支店事件:札幌地裁平成17年3月29日判決、 札幌高裁平成18年7月20日判決、最高裁第一小法廷平成20年3月27日判決、 差戻審・札幌高裁平成21年1月30日判決
- 東芝うつ病事件:最高裁第二小法廷平成26年3月24日判決 (平成23年(受)第1259号) 裁判所PDF
- 静岡県警警部補自殺事件:最高裁第二小法廷令和7年3月7日判決 (令和5年(受)第927号・第961号)
- マツヤデンキ事件:大阪高裁令和2年11月13日判決、 労働判例1242号33頁
- 北海道公立高校教諭自殺事件:仙台地裁令和2年7月1日判決、 仙台高裁令和3年2月10日判決
※判例の紹介は、公開資料・判例誌等で確認できた範囲に基づきます。 各事件は個別事情により判断されており、同様の結論を保証するものではありません。
※本記事は、公開されている裁判例・公的資料等をもとに一般的な制度や考え方を解説したものです。 個別事案について労災認定や損害賠償請求の結果を保証するものではありません。 裁判例は、それぞれ個別の事実関係に基づいて判断されています。
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