実際の裁決例から見る「事実認定」|精神障害の労災で何が証拠になったのか

精神障害の労災では、本人と会社・上司の説明が食い違うことがあります。
上司は「そんな発言はしていない」と否定している。
録音もない。
それでも、上司の発言を認定した裁決があります。
一方で、本人が詳しく申立てていたり、遺書に「嫌がらせ」と書かれていたりしても、主張された具体的な出来事が認められなかった裁決もあります。
では、労災では何を根拠に「事実」が認定されるのでしょうか。
この記事では、厚生労働省が公表している労働保険審査会の精神障害に関する公表裁決要旨9件を確認し、本人と会社側などの説明が食い違ったとき、どのような資料や供述が事実認定に使われたのかを見ていきます。
・録音がなくても、上司の発言が認められた裁決がある
・本人のノートは「書いてあったから」採用されたわけではない
・会社が作った資料が、本人側の主張を裏付けることもある
・出来事の一部だけが認められることもある
・遺書や詳細な申立書があっても、それだけで事実が認定されるとは限らない
・「出来事があったか」と「心理的負荷が強いか」は別の判断
1.精神障害の労災では「本人か会社か」の二択で判断しているわけではない
今回確認した裁決からまず分かるのは、本人と会社の説明が対立したときに、単純に「どちらを信用するか」で決めているわけではないということです。
裁決では、たとえば次のような事情が組み合わされていました。
- 出来事当時に作成されたノートや手帳
- 出来事直後に相談を受けた第三者の供述
- その場を見聞きした同僚の供述
- 上司自身が認めている部分
- 会社の勤怠記録や報告書
- レシートなど日時を確認できる資料
- 本人・会社双方の説明と客観資料との整合性
- 出来事が発病前の評価対象期間に起きているか
そして重要なのは、本人の主張を「全部認める・全部認めない」と処理するのではなく、
①出来事そのものがあったのか
②具体的にどのような言動だったのか
③その言動をパワハラなどとしてどう評価するのか
④心理的負荷は「弱」「中」「強」のどこに当たるのか
を分けて判断している裁決がみられることです。
2.録音なしでも上司の発言を認定|平成25年労第108号
出典: 労働保険審査会・平成25年労第108号 公表裁決要旨(厚生労働省)
非常に興味深いのが、平成25年労第108号です。
この事案では、労働者側は、上司から「担当からやれ」「嫌なら帰れ」「最も嫌いなタイプ」といった趣旨の発言を受けたほか、席を非管理職の位置へ移され、会議への出席を制限されたなどと主張しました。
これに対して、上司側は侮辱的な発言を概ね否定していました。
しかも、問題となった発言そのものを録音した音声があったわけではありません。
決め手の一つになった「当時のノート」
審査会が重視したのが、本人が当時記録していたノートや手帳でした。
ただし、ここで注意したいのは、
「本人のノートに書いてあるから事実と認めた」わけではない
という点です。
ノートに記載された打合せの日付が手帳と一致していたことに加え、複数の関係者が、本人について普段から正確にメモを取る人物だったと説明していました。
さらに、出来事当日に本人から話を聞いた第三者の供述もありました。
こうした事情を総合し、審査会はノートに沿った発言があったと認定しました。
・いつ作られたのか
・他の記録と一致するか
・普段からどのように記録していたのか
・出来事直後の第三者への相談と整合するか
まで確認されているということです。
最終的にこの事案では心理的負荷が「強」と評価され、不支給処分が取り消されています。
3.レシートまで事実認定の材料になった|平成27年労第485号
出典: 労働保険審査会・平成27年労第485号 公表裁決要旨(厚生労働省)
平成27年労第485号も、証拠の積み重ねがよく分かる裁決です。
本人は、体重に由来する番号で人前で呼ばれたり、ミスのペナルティとして飲食代などを負担させられたりしたと主張しました。
一方、上司は、呼び方について「冗談で何回か」と説明し、飲食代などについても回数を限定して説明していました。
本人と上司の説明が違う中で使われた資料
ここで出てきたのが、
- 上司自身による一部の事実の自認
- 第三者の供述
- レストランのレシート
- コンビニのレシート
- 会社が上司を処分した事実
- 勤務記録
などです。
審査会は、本人が主張するすべての回数をそのまま認定したわけではありません。
しかし、上司が一部を認めていることや第三者供述、日付のあるレシートなどを組み合わせ、複数回の行為があった可能性を含めて事実関係を判断しました。
この事案では、個々の出来事だけでなく、複数の嫌がらせや連続勤務などが全体として評価され、最終的に原処分が取り消されています。
4.会社が作った資料から、会社側が否定する事実を認定|平成31年労第6号(令和2年公表)
出典: 労働保険審査会・平成31年労第6号 公表裁決要旨(厚生労働省)
「会社の資料だから会社に有利」とは限りません。
平成31年労第6号では、本人は、社長による脅迫的な発言、過積載作業の強要、十分な休憩が取れなかったことなどを主張しました。
会社側は、本人が主張する発言や過積載の強要などを否定していました。
審査会は、本人が主張したパワハラ発言については、発言の時期・内容・趣旨に大きな食い違いがあるとして、そのまま認定しませんでした。
ところが、過積載作業については違いました。
会社側が提出した報告書の積荷量などを検討し、過積載となる積込み作業に従事していたことを認定したのです。
また、休憩時間についても、形式上の時間をそのまま採用するのではなく、社長自身の供述などを踏まえて実態を検討しています。
本人側資料か会社側資料かという「提出者」だけで証拠価値が決まるわけではありません。
会社が提出した資料や会社側の供述が、結果として本人の主張の一部を裏付けることもあります。
もっとも、この事案では認定された出来事の心理的負荷は「強」とは評価されず、再審査請求は棄却されています。
5.正確な発言内容が分からなくても「強い口調の対立」は認定|平成28年労第445号
出典: 労働保険審査会・平成28年労第445号 公表裁決要旨(厚生労働省)
精神障害の労災では、「何と言われたのか」が争われることが少なくありません。
平成28年労第445号では、本人は「非常識」「入れ知恵」などと強い口調で言われたと主張しました。
一方、会社役員側は、似た趣旨の発言の一部は認めながらも、本人が主張する正確な文言や、怒鳴ったことなどを否定しました。
この事案で興味深いのは、審査会が正確な発言の文言と、その場で強い対立があったことを分けて判断した点です。
出来事直後、本人の顔色が変わり、震えや歩行困難などが生じていたことを複数の関係者が目撃していました。
そのため、本人が主張する言葉をすべてそのまま認定したわけではないものの、かなり強い口調による対立があったこと自体は認定されています。
ただし、嫌がらせ目的まで認定されたわけではなく、最終的な心理的負荷は「中」と評価されました。
6.「物を蹴った」と「本人へのパワハラ」を分けた裁決|平成28年労第340号
出典: 労働保険審査会・平成28年労第340号 公表裁決要旨(厚生労働省)
平成28年労第340号では、本人は、上司が本人の前でホワイトボードを蹴ったことや、強い叱責、解雇を示唆する発言などを主張しました。
上司側も、物を蹴ったこと自体は認めていました。
しかし、
「物を蹴った」=「本人に向けた威圧的なパワハラ」
と直ちに認定されたわけではありません。
審査会は、物を蹴った行為そのものは認定する一方、それが本人に向けて行われたという部分は認定しませんでした。
他方で、第三者2名の具体的な供述などから、上司による強い指導・叱責や、周囲からも分かるほどの対立は認定しています。
この裁決は、事実認定が非常に細かく行われることを示す例です。
・物を蹴ったか
・誰に向けた行為だったか
・どの程度の叱責だったか
・解雇を示唆したか
7.複数の会社関係者が否定しても、それだけで決まらない|平成30年労第200号
出典: 労働保険審査会・平成30年労第200号 公表裁決要旨(厚生労働省)
平成30年労第200号では、障害者雇用で勤務していた労働者が、日常的に怒鳴られたり、人格を否定するような指導を受けたりしたと主張しました。
複数の会社関係者は、怒鳴ったことなどを否定していました。
それでも審査会は、会社側が「厳しく叱ることもあった」と一部認めていたことや、本人の障害特性などを踏まえ、一定の「強い指導や叱責」があったことは認定しました。
一方で、人格を否定するような口調・内容だったことまでは認定していません。
ここからも、「会社側3人が否定、本人1人が主張しているから3対1で会社側」というような人数だけの判断ではないことが分かります。
8.詳細な申立てがあっても、裏付けがなければ認定されないことがある
平成28年労第215号
出典: 労働保険審査会・平成28年労第215号 公表裁決要旨(厚生労働省)
本人は、日常的な個人攻撃や嫌がらせ、「泥棒か」といった発言、私物確認などを主張しました。
しかし、関係者の聴取などから本人の主張を十分に裏付けるものが確認できず、問題となった発言や私物確認の一部は「不明」とされました。
本人が提出したCDについても、記録されたやり取りが発病後のものであったため、発病原因となった出来事としては評価されませんでした。
平成28年労第233号
出典: 労働保険審査会・平成28年労第233号 公表裁決要旨(厚生労働省)
この事案でも、本人は罵声や「明日から出てくるな」といった発言、退職強要などを主張しました。
審査会は、業務上のやり取りそのものは認めましたが、本人が主張する罵声や退職強要の具体的な文言については、独立した裏付けがないとして認定しませんでした。
9.遺書に「嫌がらせ」と書かれていても、それだけでは足りなかった例
出典: 労働保険審査会・平成28年労第292号 公表裁決要旨(厚生労働省)
平成28年労第292号は、自殺事案です。
遺書には「嫌がらせ」という趣旨の記載がありました。
しかし、公表された裁決要旨では、その記載に具体的な日時、相手、行為の態様などが十分示されていないことに加え、会社調査や関係者供述などからも具体的なハラスメントを裏付ける事情が確認されませんでした。
その結果、この事案では具体的なパワハラ等が認定されず、対象となる精神障害の発病自体についても認められませんでした。
この裁決からも、遺書、日記、診療録、本人の申立書などに記載されていることだけで、直ちにその内容が労災上の事実として確定するわけではないことが分かります。
10.9件の裁決を横断すると見えてくる「事実認定」の6つのポイント
今回確認した裁決からは、少なくとも次のような特徴が読み取れます。
① 主張を「全部かゼロか」で判断しない
「面談があった」ことは認めるが「罵声」は認めない、物を蹴ったことは認めるが「本人に向けた行為」は認めない、といった判断がみられます。
② 正確な言葉が確定できなくても、出来事の核が認定されることがある
発言の一字一句までは確定できなくても、強い口調による対立や叱責があったこと自体が、第三者供述などから認定される場合があります。
③ 当時の記録は「作成時期」だけでなく、その来歴も見られる
ノートや手帳については、いつ書かれたのかだけでなく、他の資料との一致や、普段からどのように記録していたのかまで検討された裁決があります。
④ 相手方の「一部認める」という供述が重要になることがある
上司や会社がすべてを否定していても、一部について認めた供述が他の資料と組み合わされ、本人側の主張の一部を裏付けることがあります。
⑤ 会社資料が本人側の事実認定に使われることもある
勤怠資料や会社報告書などは、必ずしも会社側に有利に働くわけではありません。資料の内容そのものが検討されます。
⑥ 「証拠として信用できるか」と「発病原因として評価できるか」は別
たとえば録音内容自体が真正であっても、その出来事が発病後であれば、発病原因となった出来事の評価対象にならない場合があります。
もっとも、2023年改正後の認定基準では精神障害の悪化についての考え方も見直されていますので、発病後の出来事が常に無意味ということではありません。
11.「録音がない=労災は無理」ではない
今回確認した裁決の中には、問題となった発言そのものの録音がなくても、発言が認定された事案があります。
一方で、これは「本人のメモさえあれば認定される」という意味でもありません。
平成25年労第108号では、
- 出来事当時のノート
- 手帳との日時の一致
- 普段から正確にメモを取っていたという第三者評価
- 出来事当日に相談された第三者の供述
などが重なっていました。
12.会社の「パワハラなし」という結論で労災が決まるわけでもない
会社がハラスメント調査を行い、「パワハラは確認できなかった」と判断することがあります。
しかし、会社の調査結果と労災認定は同じ制度ではありません。
今回確認した裁決でも、会社側の説明や社内調査の存在だけで結論を出すのではなく、第三者供述や客観資料などを個別に検討しています。
そのため、会社の調査結果を見る場合にも、「パワハラなし」という最終結論だけではなく、
- 誰から聴取したのか
- 誰から聴取していないのか
- 会社側も認めている事実は何か
- どの客観資料を確認したのか
- 各供述と資料に矛盾がないか
を確認することが重要です。
13.厚生労働省の調査方針でも「第三者からの聴取」が重視されている
厚生労働省の労災補償業務に関する運営上の資料では、精神障害事案について、上司・同僚等からの聴取など必要な調査を行った上で事実認定することが示されています。
特にパワーハラスメントについて主張が相反する場合には、事業場内での役割や指揮命令系統などを把握し、可能な限り第三者から聴取して、業務上必要性のない言動や目的を逸脱した言動の有無を確認することとされています。
労働時間についても、タイムカードだけでなく、入退場記録、パソコンの使用記録など、可能な限り客観的な資料を収集することとされています。
今回確認した裁決でも、こうした考え方と重なる事実認定がみられました。
14.証拠を残すなら「パワハラされた」ではなく事実を細かく残す
今回の裁決から実務上参考になるのは、出来事をできるだけ小さな単位に分けて記録することです。
たとえば、
- いつ
- どこで
- 誰から
- どのような言葉を言われたか
- どの程度の声量・態様だったか
- 誰がその場にいたか
- その前後にどのような業務上のやり取りがあったか
- 同じことが何回あったか
- 出来事直後に誰へ相談したか
- 配置・担当業務などがその後どう変わったか
といった事実です。
「上司からひどいパワハラを受けた」という評価だけを書くより、後から第三者が確認できる具体的な事実を残しておく方が、他の資料や供述と照合しやすくなります。
また、ノートやメモを残す場合には、後からまとめて作るだけでなく、日頃から継続して記録していることや、カレンダー・メール・チャット・勤怠など別の資料と照合できることも重要になります。
15.出来事が認められても、労災認定されるとは限らない
ここは非常に重要です。
今回確認した裁決では、本人が主張した出来事の一部が認定されたにもかかわらず、最終的には業務外として棄却された事案が複数あります。
精神障害の労災では、
「出来事があったか」
と、
「その出来事による心理的負荷が認定基準上どの程度なのか」
は別の問題です。
さらに、対象となる精神障害を発病しているか、発病時期はいつか、発病前おおむね6か月の出来事として評価できるかなども検討されます。
16.今回の裁決から分かること
今回、厚生労働省が公表している労働保険審査会の裁決のうち、本人側と会社・上司・同僚側の説明の食い違いが事実認定に現れている9件を確認しました。
本人の説明がすべて認められるわけでもありません。
会社の説明がすべて採用されるわけでもありません。
「発言があったか」
「どのような言葉だったか」
「誰に向けられたものだったか」
「何回続いたのか」
「業務上必要な指導だったのか」
「心理的負荷はどの程度だったのか」
といった点が、一つずつ検討されています。
だからこそ、精神障害の労災申請では、最初から「これはパワハラです」と評価だけを固めるのではなく、出来事を時系列で分解し、それぞれを裏付ける資料や第三者を整理することが重要です。
17.今回確認した主な裁決・資料
- 労働保険審査会 平成25年労第108号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成27年労第485号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成28年労第215号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成28年労第233号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成28年労第292号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成28年労第340号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成28年労第445号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成30年労第200号 公表裁決要旨
- 労働保険審査会 平成31年労第6号 公表裁決要旨
- 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」
- 厚生労働省「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」
- 厚生労働省「精神障害の労災認定に関する関係通達」
なお、今回確認した公表裁決要旨は旧認定基準が適用された事案が中心です。精神障害の労災認定基準は2023年9月に改正されているため、過去の裁決結果が現在の認定基準でもそのまま同じ結果になるとは限りません。
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※本記事は、厚生労働省が公表している労働保険審査会の公表裁決要旨等をもとに、精神障害の労災における事実認定の考え方を一般向けに整理したものです。個別事案の労災認定を保証するものではありません。実際の判断は、個々の事実関係、証拠、発病時期、心理的負荷の内容などによって異なります。
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