労災申請で医療費を10割払う必要はある?健康保険を使っていた場合の切替えを解説

労災申請で10割負担は必要?健康保険から労災への切替え

「健康保険を使って通院していたけれど、あとから労災申請をしたい」

「労災に切り替えるには、健康保険が負担した分を返して、 いったん医療費を10割負担しなければならないと言われた」

精神障害の労災相談では、このような不安を抱える方も少なくありません。

うつ病、適応障害、PTSDなどで数か月以上にわたって通院している場合、 健康保険者から返還を求められる金額が大きくなることがあります。

結論:健康保険への返納を完了しなければ、労災請求そのものができないわけではありません

健康保険を使っていた場合、通常は健康保険者等が負担した医療保険給付相当額を返還したうえで、 医療機関の窓口で支払った自己負担分と合わせて、 療養(補償)等給付たる療養の費用を請求する方法が案内されます。

しかし、返還額が高額で被災労働者に大きな経済的負担が生じる場合には、 厚生労働省が示す保険者等との調整を利用し、 本人が健康保険者等へ先に返納する方法とは別の形で 労災保険の療養費請求を進められる可能性があります。

まず1分で知りたい方はこちら

約1分のショート動画でポイントを解説しています。

厚生労働省は2017年(平成29年)、 健康保険などから過去に給付を受けていた傷病が労災認定された場合について、 一定の手続のもとで、 労災保険から健康保険者等の口座へ療養の費用を振り込む調整方法 を通知で明示しています。

この記事では、健康保険を使っていた人があとから労災申請する場合について、 厚生労働省のQ&A、行政通知、労災保険の時効に関する公表資料をもとに、 「本当に10割負担を先にしなければならないのか」を整理します。

健康保険を使ってしまった場合の一般的な切替方法

業務上の傷病について健康保険を使って受診していた場合、 一般的には、健康保険から労災保険へ切り替えるために次のような精算が行われます。

  1. 加入している健康保険者等へ、業務上の傷病として労災申請を行うことを連絡する
  2. 健康保険者等から返還通知書・納付書・診療報酬明細書などを受け取る
  3. 健康保険者等が負担していた医療保険給付相当額を返還する
  4. 医療機関の窓口で支払った自己負担分と合わせ、様式第7号等で労災保険へ療養の費用を請求する

このため、 「健康保険を使っていたら、いったん10割負担にしなければならない」 と説明されることがあります。

ただし、ここでいう「10割負担」は通常の精算方法を説明したものです。 健康保険者等への返還を完了しなければ、 様式第7号による労災請求そのものが一切できないという意味ではありません。

なお、実際に返還を要する金額は、 診療内容、高額療養費、公費負担医療、付加給付、 医療機関側での請求取消し・請求替えの可否などによって異なることがあります。 「必ず医療費総額の7割」とは限りません。

健康保険への返納前でも、療養費の労災請求を進められる場合がある

厚生労働省のQ&Aでは、 健康保険証を使って受診してしまった場合の一般的な精算方法が案内されています。

一般的には、健康保険者等が負担した分を返還したうえで、 療養の費用を労災保険へ請求する流れになります。

もっとも、返還額が高額で、 被災労働者に大きな経済的負担が生じる場合まで、 必ず本人が先に全額を返納しなければならないわけではありません。

健康保険等から労災保険へ切り替える際、 返還額が高額となる場合には、 返納後の請求だけではなく、 厚生労働省が示す保険者等との調整手続を利用できる可能性があります。

したがって、 「健康保険者等への返還資金が用意できないから、労災請求はできない」 と直ちに考える必要はありません。

ただし、後述する保険者等との調整は、 労災認定・支給決定後に具体化する手続です。 認定前の段階では、返還通知書の有無、過去分の医療機関請求替えの可否、 自己負担分や通院費の時効などを並行して管理することが重要です。

厚生労働省|健康保険証を使って受診してしまいました。どうしたらよいでしょうか

2017年通知で明示された「保険者等との調整」

健康保険から労災保険への切替えでは、 以前から健康保険者等への返納後に労災請求を行う方法が基本的な取扱いとされてきました。

これに対し、厚生労働省は2017年2月1日付け 基補発0201第1号 「労災認定された傷病等に対して労災保険以外から給付等を受けていた場合における保険者等との調整について」 により、返還による被災労働者等の経済的負担を軽減するための調整方法を示しました。

保険者等との調整のポイント

健康保険者等へ返還する金額に相当する労災保険給付について、 被災労働者等が健康保険者等に受領を委任し、 所定の手続を行うことで、 労災保険から健康保険者等の金融機関口座へ療養の費用を振り込む ことにより調整する方法です。

この手続では、労働基準監督署、健康保険者等、被災労働者等の間で、 対象となる傷病、対象期間、返還額、労災保険で支給される療養費などを確認して処理が進められます。

そのため、被災労働者が単独で健康保険者等の口座を指定すれば、 当然に直接振込となる仕組みではありません。 管轄の労働基準監督署と、加入している健康保険者等への確認が必要です。

また、この通知は「労災認定された傷病等」に関する調整を定めています。 原則として、労災保険で業務上又は通勤による傷病と判断され、 療養の費用について支給決定を行う段階で具体的な調整が進められることになります。

高額な返納が見込まれる場合の注意点

健康保険者等へ返納する前に、 管轄の労働基準監督署へ 「平成29年2月1日付け基補発0201第1号による保険者等との調整を利用できないか」 と確認することが重要です。 先に高額な返納を完了させてからではなく、 返還通知書等を受けた段階で相談することが実務上有用です。

厚生労働省|平成29年2月1日 基補発0201第1号

動画でも詳しく解説しています

健康保険から労災への切替え、10割負担と保険者等との調整について、動画でわかりやすく解説しています。

窓口で支払った自己負担分は別途請求する

自己負担分と健康保険者等への返還対象額は、請求の整理が異なります

保険者等との調整は、主として健康保険者等が負担した分について、 労災保険から健康保険者等へ直接振り込む方法です。

一方、医療機関の窓口で本人が既に支払った自己負担分については、 医療機関が発行した領収書などを添付し、 原則として別途、療養の費用として様式第7号により請求することになります。

健康保険への返還が必要な場合も、調整方法が示されている

厚生労働省は同年2月17日付け 「労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について」において、 健康保険等への返還が必要となる事案について、 基補発0201第1号による保険者等との調整を活用することを示しています。

この通知は、健康保険者等への返還の有無や返還手続が、 労災保険給付の決定を不必要に遅延させることのないよう、 被災労働者等へ調整方法を丁寧に説明し、 適切に処理することを求める趣旨です。

したがって、 「健康保険への返納が済まない限り、労災側では何も進められない」 という一律の説明は正確ではありません。

ただし、実際の調整には、 健康保険者等からの返還通知書、診療報酬明細書、 委任状などが必要となる場合があります。 労基署、健康保険者等、医療機関との情報確認が必要になる点には注意してください。

厚生労働省|平成29年2月17日「労災補償業務の運営に当たって留意すべき事項について」

精神障害の労災だけの特例ではない

ここまでの取扱いは、 うつ病、適応障害、PTSDなどの精神障害だけを対象とした特例ではありません。

健康保険等から労災保険へ切り替える場合の一般的な取扱いとして、 厚生労働省のQ&A及び2017年通知に示されているものです。

もっとも、精神障害の労災では、 発病時期、業務による心理的負荷、出来事の事実関係、 業務以外の心理的負荷、個体側要因などについて調査が必要になることがあります。

認定までの間にも通院が継続すれば、 健康保険者等が負担した医療費が積み重なり、 後から返還を求められる金額が大きくなる可能性があります。

そのため精神障害の労災では、 医療費の精算方法、療養費の時効、休業補償の請求を分けて整理する ことが特に重要です。

療養費より先に休業(補償)等給付を請求することはできる?

労災保険では、 療養(補償)等給付と休業(補償)等給付は別個の保険給付です。

療養費を先に請求していなければ、 休業(補償)等給付を請求できないという請求順序は、 労災保険法上定められていません。

そのため、 健康保険から労災への医療費精算を完了していない段階でも、 休業(補償)等給付を先に請求し、 業務上・業務外について労基署の調査・判断を受けることは可能です。

休業(補償)等給付では、 業務上又は通勤による傷病であることに加えて、 療養のため労働することができないこと、 賃金を受けていないことなどが確認されます。

ただし、 「休業補償だけを請求しておけば、療養費をいつまでも後回しにできる」わけではありません。

休業給付の請求、労基署による労災調査、業務上認定の判断が進行していても、 未請求の療養費について時効が当然に止まるとする取扱いは確認できません。

注意したい療養費の「2年」の時効

労災保険法上、療養(補償)等給付たる療養の費用を受ける権利には、 原則として2年の消滅時効があります。

厚生労働省は、療養の費用について、 費用を支出した都度、又は費用の支出額が具体的に確定した都度に請求権が発生し、 その翌日から時効が進行すると説明しています。

健康保険から労災へ切り替える場合の重要な取扱い

健康保険者等から返還通知・納入告知が行われるまで、 被災労働者等は健康保険者等へ返還すべき具体的な金額を知ることができません。

このため厚生労働省は、 健康保険者等から返還通知・納入告知があった時を、 返還対象額について費用の支出が具体的に確定した日として取り扱う ことを示しています。 その翌日から、当該返還対象額に係る療養費請求権の時効が進行します。

ただし、すべての費用が返還通知日を基準に時効進行するわけではありません。

  • 医療機関に既に支払った自己負担分
  • 健康保険の対象外として自費で支払った費用
  • 通院交通費
  • 装具費など、本人が立替払いをした費用

これらは、それぞれ支出した日、 又は支出額が具体的に確定した日を基準に、 個別に時効管理が必要になる可能性があります。

また、休業(補償)等給付を請求していることだけで、 未請求の療養費の時効が当然に完成猶予・更新されるわけではありません。

厚生労働省|労災保険の各種給付の請求はいつまでできますか

厚生労働省|労災保険給付における消滅時効の起算点に関する資料

高額な返納が見込まれる場合の進め方

健康保険を使っていた人が労災申請をする場合、 最初から「健康保険者等へ返還して10割負担にする」と決めるのではなく、 まず利用できる精算方法を確認することが重要です。

方法 概要 主な確認ポイント
医療機関で請求替え 健康保険での請求を取り下げ、医療機関が労災診療として請求する 過去分まで医療機関が請求替えに対応できるか確認する
通常の様式第7号請求 健康保険者等への返還後、自己負担分と返還対象額を療養費として請求する 返還通知書、領収書、レセプト、対象期間、時効を確認する
保険者等との調整 返還対象額について、本人の委任により労災保険から健康保険者等へ直接振込する 支給決定後の手続、委任状、返還通知書、保険者等との調整可否を確認する

実務上の基本フロー

  1. 労災請求の対象となる傷病、発病時期、休業期間を整理する
  2. 休業(補償)等給付の対象がある場合は、様式第8号等の請求を進める
  3. 医療機関へ、労災請求中であることと、過去分の請求替えが可能かを確認する
  4. 健康保険者等へ、労災認定後に返還が必要となる可能性を相談する
  5. 返還通知書・納入告知が届いた場合は、通知日、対象期間、返還額を記録する
  6. 返還額が高額なら、返納前に労基署へ基補発0201第1号による調整の可否を確認する
  7. 自己負担分、交通費、自費分などは、支出日・領収書・時効を個別に管理する
  8. 業務上認定後、請求替え・通常の様式第7号・保険者等との調整のいずれで処理するかを決める

特に、過去の診療分が多い場合は、 医療機関、薬局、健康保険者等ごとに、 対象期間と費用を一覧化しておくと整理しやすくなります。

10割負担が大きい場合、先に支払う前に相談を

数か月、半年、1年と通院が続いている場合、 健康保険者等から返還を求められる金額が数十万円単位になることもあります。

そのような場合に、 「労災申請するなら、とにかく先に全額返してください」 という説明だけで終わらせる必要はありません。

厚生労働省は、 通常の返納後請求に加え、 一定の場合の保険者等との調整方法を通知で示しています。

高額な返納が必要になりそうな場合には、 実際に返納する前に、 管轄の労働基準監督署へ 「平成29年2月1日付け基補発0201第1号による保険者等との調整が利用できないか」 と確認することが一つの方法です。

よくある質問

Q. 健康保険を使っていたら、必ず10割を先に払わないと労災申請できませんか?

いいえ。 健康保険者等への返還後に様式第7号等で請求する方法は一般的な精算方法ですが、 高額な返還による負担を軽減するため、 厚生労働省は一定の場合の保険者等との調整方法を示しています。

実際に利用できるかは、 労災認定の状況、健康保険者等の返還処理、 医療機関での請求替え可否などによって異なります。

Q. 労災と健康保険で直接精算してもらえる制度はありますか?

2017年2月1日付け基補発0201第1号では、 一定の条件のもと、 被災労働者等が健康保険者等へ労災保険給付の受領を委任し、 労災保険から健康保険者等の口座へ療養の費用を振り込む方法による調整が示されています。

ただし、自動的に適用されるわけではありません。 管轄の労働基準監督署、健康保険者等、 必要に応じて医療機関へ確認する必要があります。

Q. 精神障害の労災だから特別に健康保険の3割負担のままでよいのですか?

精神障害だけについて、 「労災認定まで健康保険の自己負担で受診を継続すればよい」 とする全国一律の特例は確認できません。

返納後請求、返納前の相談、保険者等との調整は、 精神障害に限らない一般的な取扱いです。

Q. 休業補償だけ先に請求してもよいですか?

療養(補償)等給付と休業(補償)等給付は別個の給付です。 療養費を先に請求済みでなければ、 休業補償を請求できないという順序は定められていません。

ただし、療養費には別途時効があります。 休業補償を請求していることだけで療養費の時効が当然に止まるわけではないため、 医療費関係の資料保存と期限管理は並行して行う必要があります。

Q. 療養費の時効はいつから始まりますか?

原則として、費用を支出した日、 又は費用の支出額が具体的に確定した日の翌日から2年です。

健康保険等から労災保険へ切り替える場合は、 健康保険者等から返還通知・納入告知があった時を、 返還対象額について費用の支出が具体的に確定した日として取り扱うことが示されています。

まとめ

  • 健康保険を使った場合、一般的には健康保険者等への返還後に様式第7号等で療養費を請求する
  • ただし、返納を完了しなければ労災請求そのものができないわけではない
  • 高額な返還が見込まれる場合には、返納前に保険者等との調整を相談できる可能性がある
  • 2017年の厚生労働省通知では、一定の場合に労災保険から健康保険者等への直接振込による調整方法が示されている
  • 自己負担分と健康保険者等への返還対象額は、請求の整理が異なる場合がある
  • 健康保険等への返還が必要となる場合についても、 厚生労働省は2017年通知による調整方法を活用し、 被災労働者等の負担軽減を図る取扱いを示している
  • 療養費より先に休業(補償)等給付を請求することは可能
  • ただし、休業給付の請求だけで療養費の時効が当然に止まるわけではない
  • 高額な返納が見込まれる場合は、返還通知書を受けた段階で労基署・健康保険者等へ相談する

労災申請を検討している人にとって、 数十万円単位になることもある医療費の一時負担は、 申請をためらう大きな理由になり得ます。

しかし、 「10割を先に用意できないから、労災申請はできない」 と決めつける必要はありません。

健康保険を使っている場合には、 労災申請そのものと医療費の精算方法を分けて考え、 医療機関での請求替え、通常の療養費請求、保険者等との調整のうち、 どの方法を利用できるかを確認することが大切です。

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参考資料・一次資料

※本記事は2026年9月時点で確認できる法令、厚生労働省公表資料、行政通知等をもとに、 一般的な制度と実務上の考え方を解説したものです。 健康保険から労災保険への切替方法、医療機関による請求替えの可否、 保険者等との調整に必要な書類、対象となる費用、時効の起算点などは個別の状況によって異なります。 実際の手続では、管轄の労働基準監督署、加入している健康保険者等、医療機関等への確認が必要です。

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