労災認定されても会社への損害賠償が認められない?精神障害の労災と民事裁判の違い

「弁護士に相談したら、まず労災申請を勧められた」
「労災が認定されれば、会社に損害賠償を請求できるのではないか」
「逆に、労災が不支給なら、会社を訴えても意味がないのではないか」
精神障害、パワーハラスメント、過重労働、過労自殺が関係する事案では、 労災申請と会社への損害賠償請求の関係について、 このような疑問が生じることがあります。
結論からいうと、 労災認定と会社に対する民事損害賠償は、自動的に連動するものではありません。
労災では、精神障害や自殺が業務に起因するものといえるかが重要になります。 一方、会社に対する民事損害賠償では、それに加えて、 会社に安全配慮義務違反や不法行為などが認められるか、 会社が健康障害の危険を予見できたか、 必要な措置を取ることができたかなど、別の問題が検討されます。
この記事のポイント
- 労災認定=会社の民事責任が確定する、ではない
- 労災では会社の故意・過失は原則として認定要件ではない
- 民事では安全配慮義務違反、不法行為、予見可能性、因果関係などが別途問題になる
- 実際に、労災上の業務起因性が認められても民事請求が棄却された事例がある
- 労災不支給だからといって、民事請求が法律上当然にできなくなるわけではない
- パワハラ行為自体の慰謝料と、うつ病・休業・自殺による損害は分けて考える必要がある
先に重要な点です。
本記事の作成にあたり、裁判所公開資料、厚生労働省資料その他の公表資料を確認しました。 しかし、精神障害又は自殺について、 「労災不支給が確定した後、同一の精神障害又は自殺について、 民事裁判で会社の安全配慮義務違反と因果関係が認められた事例」は、 労災側と民事側の双方の結論を確認できる公表資料としては、 今回の調査範囲で特定できませんでした。
そのため、本記事では確認できない事例を推測で紹介せず、 確認できた制度・裁判例をもとに両者の違いを整理します。
結論|労災と損害賠償は自動的に連動しない
同じ精神障害や自殺について争われていても、 労災保険と民事損害賠償では、制度の目的と判断する要件が異なります。
| 比較項目 | 労災保険 | 民事損害賠償 |
|---|---|---|
| 主な目的 | 業務上の負傷・疾病・障害・死亡等に対する法定給付 | 違法な行為や義務違反によって生じた損害の填補 |
| 中心となる問題 | 業務と精神障害・自殺との業務起因性 | 安全配慮義務違反、不法行為、因果関係など |
| 会社の故意・過失 | 原則として認定要件ではない | 請求原因に応じて問題になる |
| 予見可能性 | 独立した支給要件ではない | 安全配慮義務違反などを判断する重要な要素になり得る |
| 結果回避に関する義務 | 独立した支給要件ではない | どのような措置を取るべきだったかが問題になり得る |
| 主な判断主体 | 労働基準監督署長、審査官、労働保険審査会、行政裁判所 | 民事裁判所 |
| 給付・賠償 | 療養、休業、障害、遺族等の法定給付 | 治療費、休業損害、逸失利益、慰謝料等 |
法令: e-Gov法令検索「労働者災害補償保険法」第1条・第7条
「業務が原因で精神障害を発病したのか」と、 「会社にその結果について法的責任があるのか」は、 同じ問題ではありません。
精神障害の労災では何を判断するのか
精神障害の労災認定では、現行の認定基準上、基本的に次の要件を確認します。
- 対象となる精神障害を発病していること
- 発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること
- 業務以外の心理的負荷や個体側要因による発病とは認められないこと
パワーハラスメント、長時間労働、重大なミス、配置転換、 役割・地位の変化などについて、 出来事の内容やその後の状況を確認し、 業務による心理的負荷を評価します。
ここで重要なのは、 会社が故意に精神障害を発病させたのか、 会社に過失があったのかが、労災給付の原則的な認定要件ではない ということです。
参考: 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準について」
民事損害賠償では何が追加で問題になるのか
労働契約法5条は、使用者に対し、労働者が生命、身体等の安全を確保しつつ 労働できるよう、必要な配慮をする義務を定めています。 精神的な健康への配慮も、具体的な勤務状況や会社が把握していた事情に応じて問題となり得ます。
会社に対して損害賠償を求める場合には、 労災とは別に、 安全配慮義務違反や不法行為など、それぞれの請求原因に応じた要件 が問題になります。
例えば、安全配慮義務違反が問題となる場合には、 具体的な事案に応じて、 会社が健康障害の危険を把握できたのか、 どのような対応を取るべきだったのかなどが検討されます。
- 労働時間や業務量を会社が把握していたか
- 本人から体調不良や過重労働の申告があったか
- 欠勤、遅刻、能率低下などの変化があったか
- 診断書や産業医の意見が提出されていたか
- ハラスメントについて会社へ相談していたか
- 業務軽減や配置転換などの措置を取ることができたか
- 会社が把握した後に必要な対応を行ったか
したがって、 精神障害と業務との関係が認められたことだけで、 会社の損害賠償責任まで当然に決まるわけではありません。
労災では業務上、民事では棄却|立正佼成会事件
この違いが分かりやすく表れた事例として、 立正佼成会附属佼成病院の小児科医のうつ病・自殺をめぐる事案 があります。
小児科医は、診療や部長代行などの職責を担う中でうつ病を発症し、 1999年に自殺しました。
遺族補償給付は一度不支給とされましたが、 その後の労災行政訴訟では不支給処分が取り消され、 業務とうつ病・自殺との業務起因性が認められました。
ところが、その後の会社に対する民事損害賠償請求では、 結論が異なりました。
民事裁判では、業務とうつ病・自殺との因果関係そのものが 否定されたわけではありません。
一方で、東京高裁は、 病院側が精神障害や自殺の危険を 具体的・客観的に予見できたとはいえないとして、 安全配慮義務違反を認めず、請求を棄却しました。
立正佼成会事件の判断構造を簡略化すると
【労災】
過重な業務
↓
うつ病・自殺
↓
業務との因果関係・業務起因性を認める
↓
業務上
【民事損害賠償】
過重な業務
↓
うつ病・自殺
↓
業務との因果関係を認める
↓
さらに、病院側が健康障害・自殺の危険を具体的に予見できたか
↓
予見可能性を否定
↓
安全配慮義務違反を否定 → 損害賠償請求棄却
※上記は、この事件の判断構造を理解しやすくするため簡略化したものです。 実際の民事責任では、予見可能性だけでなく、 具体的な義務内容、結果回避に関する事情、義務違反と損害との因果関係など、 個別事案に応じた検討が必要です。
労災で「業務が原因」と認められることと、 会社に「予見して必要な対応を取るべき義務への違反」があることは、 同じ判断ではありません。
労災行政訴訟の一次資料: 裁判所「国・新宿労基署長事件」判決
民事判決について: 東京高裁平成20年10月22日判決。今回の調査では判決全文の公開URLを確認できなかったため、 結論および判断の概要は公表された判例情報等により確認しています。
もう一つの参考事例|ヤマダ電機事件
もう一つ、労災認定と民事訴訟の結論が一致しなかった事例として、 ヤマダ電機事件があります。
新潟県内の新規店舗でフロア長として勤務していた23歳の社員が、 2007年9月に自殺した事案です。
公表資料等によれば、 長岡労働基準監督署は2011年6月、 うつ病・自殺について労災認定しました。
その後、遺族が会社に損害賠償を求めましたが、 前橋地方裁判所高崎支部は2016年5月19日、請求を棄却しました。
この事例については注意が必要です。
今回の調査では民事判決全文を確認できていません。 公表されている判例情報からは、 裁判所と労災認定で労働時間などの基礎事情又は証拠評価が異なった可能性がうかがわれます。
そのため、 「労災では会社の過失が不要、民事では過失が必要だから棄却された」 と単純化して説明することはできません。
この事例からも、 民事裁判所が労災認定の結論にそのまま拘束されるわけではなく、 提出された証拠に基づいて事実関係を判断する ことが分かります。
労災が不支給なら民事請求もできないのか
では逆に、 労災が不支給になった場合、会社への損害賠償請求もできないのでしょうか。
労災不支給という行政上の判断によって、 民事損害賠償請求が法律上当然にできなくなるわけではありません。
民事裁判では、労災認定・不認定とは別に、 労働時間、ハラスメントの具体的内容、会社が認識していた事情、 医学的経過、因果関係などが検討されます。
ただし、ここで注意したいことがあります。
今回確認できた公表資料の範囲では、 「精神障害・自殺について労災不支給が確定したが、 同一の精神障害・自殺について民事裁判では会社の安全配慮義務違反と因果関係が認められ、 損害賠償が認容された」 という事例を、労災側・民事側の双方の結果まで確実に照合することはできませんでした。
したがって、 「労災が不支給でも民事なら勝てる」と一般化することはできません。
一方で、 「労災が不支給なら民事も必ず認められない」 ともいえません。
民事では、どの行為について、どのような法的責任を求めるのか、 会社が何を把握していたのか、 どの損害との因果関係を主張するのかなど、 個別の立証構造を確認する必要があります。
パワハラの慰謝料と「うつ病の損害」は別
もう一つ、精神障害の事案で混同しやすいのが、 パワハラ行為そのものに対する慰謝料と、 うつ病等を発病したことによる損害との違いです。
例えば、上司の侮辱、人格を傷つける発言、威圧的な言動などが 違法な行為と評価され、 その精神的苦痛について慰謝料が認められる場合があります。
しかし、それだけで、 その行為によってうつ病や適応障害を発病したことまで 法的に認められたことにはなりません。
| 問題 | 主に確認される事情 | 問題となり得る損害 |
|---|---|---|
| パワハラ行為自体の違法性 | 侮辱、人格を傷つける言動、威圧、業務上の必要性・相当性、態様など | 精神的苦痛に対する慰謝料など |
| 精神障害等との因果関係 | 行為の内容・継続性、発病時期、診療記録、他のストレス要因、医学的資料など | 治療費、休業損害、逸失利益、死亡に伴う損害など |
「パワハラについて慰謝料が認められた」 = 「そのパワハラによってうつ病になったことまで認められた」 ではありません。
それでも労災申請を進める意味
ここまで読むと、 「では、民事裁判を考えている場合、労災申請にはどのような意味があるのか」 と思われるかもしれません。
まず、 労災保険には、それ自体として療養や休業、障害、遺族等に関する法定給付があります。
精神障害によって働けなくなった場合には、 治療や生活保障という観点から、 労災給付の対象となるかを検討すること自体に意味があります。
また、精神障害の労災申請では、例えば次のような資料や経過を整理することがあります。
- 発病前の労働時間
- 担当業務や業務量の変化
- 配置転換や役職変更
- 上司からの叱責やハラスメントの経過
- メール、LINE、Teamsなどの記録
- 関係者が把握していた事実
- 会社へ相談した記録
- 受診日や診断内容
- 休職に至るまでの経過
こうした資料は、 その後に民事上の問題を弁護士へ相談・検討する際にも、 事実関係を確認するための資料となることがあります。
ただし、 労災認定を受ければ、その後の民事訴訟が有利になる、 あるいは会社の責任が認められると保証されるものではありません。
労災申請と民事損害賠償では、目的も判断要件も異なるため、 それぞれを分けて考えることが重要です。
労災給付と損害賠償は二重にもらえるのか
労災給付を受けた後に会社の民事責任が認められる場合でも、 同一の損害について、労災給付と損害賠償を重ねて受け取ることはできません。
ただし、どの労災給付を、どの民事上の損害項目から、どの範囲で調整するかは、 給付の性質、支給済みかどうか、請求される損害の内容などによって異なります。
| 労災給付 | 対応が問題となり得る民事上の損害 |
|---|---|
| 療養補償給付 | 治療費等 |
| 休業補償給付 | 休業損害 |
| 障害補償給付 | 後遺障害による逸失利益等 |
| 遺族補償給付 | 死亡逸失利益等 |
| 葬祭料 | 葬儀費用等 |
一方、慰謝料などについては、 労災給付と同一の損害として扱われるかを含め、 給付の性質や損害項目ごとの検討が必要です。
まとめ|「労災認定」と「会社の責任」は分けて考える
- 労災認定と会社への損害賠償請求は、同じ出来事を扱っていても別の制度です。
- 労災では、主に業務と精神障害・自殺との業務起因性が問題になります。
- 民事では、安全配慮義務違反、不法行為、予見可能性、会社が取るべき措置、因果関係などが別途問題になります。
- 立正佼成会事件では、労災上の業務起因性が認められた一方、 民事では予見可能性が否定され、損害賠償請求が認められませんでした。
- 労災不支給だからといって民事請求が法律上当然にできなくなるわけではありませんが、 民事でも独自の立証が必要です。
- パワハラ行為自体についての慰謝料と、 精神障害・休業・自殺による損害は分けて検討する必要があります。
- 労災手続で整理される資料は、その後の法的問題を検討する際にも事実確認の資料となることがあります。
精神障害の事案では、 「労災が認められるか」と「会社に損害賠償責任があるか」を混同しないこと が大切です。
まず、いつ精神障害を発病したのか、 その前にどのような業務上の出来事があったのか、 どのような資料が残っているのかを整理したうえで、 労災と民事それぞれについて検討していく必要があります。
精神障害の労災では、発病前おおむね6か月間の出来事を時系列で整理し、 労働時間、業務内容、上司とのやり取り、会社への相談、受診経過などを確認することが重要です。 早い段階で資料を整理しておくことは、労災申請を検討するうえで役立ちます。
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