精神障害の労災再審査請求で判断が覆る理由|取消裁決から見る7つの確認点

労災の再審査請求で、なぜ原処分の判断が覆るのでしょうか。
「新しい診断書が出たから」「録音があったから」といった、 一つの証拠だけで説明できるものではありません。
厚生労働省が公開している労働保険審査会の裁決を横断的に確認すると、 原処分で認定された事実、証拠の評価、発病時期、労働時間、 複数の出来事の関係、医学的な前提などが再検討され、 全体の評価が組み直されたことで取消しに至った事案が見えてきます。
この記事で分かること
- 公開裁決で、原処分の判断が見直された主なポイント
- 「新しい証拠」以外に確認すべき、不支給判断の前提
- 古い取消裁決の考え方を、2023年の現行基準でどう読むか
動画でも解説しています
精神障害の労災が不支給となった後、再審査請求でなぜ判断が覆ったのか。 実際の取消裁決から、判断が見直されたポイントを解説しています。
1分で見る|労災不支給は「新しい証拠」がないと覆らない?
この記事の注意点:
本記事は「再審査請求をすれば認定される」「この証拠があれば覆る」と説明するものではありません。
公開されている裁決から、判断が変更された事案で何が検討されたのかを整理するものです。
厚労省の公表裁決3,235掲載行を確認しました
厚生労働省の「裁決事案一覧」では、 労働保険審査会が裁決を行った事案の要旨が公開されています。
現在公開されている一覧について、 平成26年から令和2年7月までの3,235掲載行を確認したところ、 「取消」と表示された掲載行は136行、 「一部取消・一部棄却」と表示された掲載行は3行で、 合計139掲載行が請求人側に全部または一部有利な結果となっていました。
139 ÷ 3,235を「再審査請求の成功率」と考えることはできません
これは公式統計上の取消件数ではなく、あくまで公表一覧の掲載行を独自に集計したものです。 厚生労働省の公開一覧は、平成26年1月〜令和2年7月裁決分までを掲載するものと案内されており、 全裁決を網羅しているとは確認できません。 同一・関連事件が別区分に掲載される可能性もあるため、 本記事ではこの数字を「取消率」「成功率」として使用しません。
精神障害に関係する取消等の裁決をさらに抽出
公表裁決の中から、 精神障害、自殺、パワーハラスメント、長時間労働、 精神障害の治ゆ・寛解などに関係する、 請求人側に有利な裁決を抽出すると、 少なくとも30掲載行を確認できました。
これらを読み比べると、 単純に「証拠が増えたから覆った」というより、 原処分で前提とされていた事実や評価そのものが見直されている 事案が少なくありません。
原処分が覆った理由は、大きく分けていくつかの型がある
精神障害に関する取消裁決を横断してみると、 判断変更のポイントは、おおむね次のように整理できます。
| 判断が変わったポイント | 具体的な内容 |
|---|---|
| 出来事の事実認定 | 原処分で認められなかった発言・行為・勤務実態などが認定された |
| 心理的負荷の評価 | 同じ出来事でも、反復性・継続性・態様などから評価が変わった |
| 発病時期 | 発病時期が変更され、評価対象となる出来事が変わった |
| 労働時間 | 始終業時刻、休憩、手待ち時間などの認定が変わった |
| 証拠の信用性 | 本人記録、第三者供述、メール等の意味付けや信用性が再評価された |
| 複数出来事の全体評価 | 出来事同士の関連性や時間的近接性を踏まえ、全体として評価された |
| 医学的評価 | 発病時期、症状経過、寛解・治ゆなどの医学的前提が再検討された |
① 本人のノートが「他の証拠との整合性」から評価された事案
平成26年裁決の 25労108 では、 上司の発言、管理職席から非管理職席への席替え、 会議への出席制限などが問題となりました。
原処分側では、問題となった発言について、 同席者が聞いていないことなどから事実関係が十分に認められていませんでした。
しかし労働保険審査会は、 本人が残していたノート・手帳だけを見るのではなく、
- 記録された時期との整合性
- 普段から記録を残していたこと
- その記録が正確だったという関係者の供述
- 問題となる発言の直後に内容を聞いた第三者の供述
などを組み合わせて検討しました。
ここで重要なのは、「本人のメモがあれば証拠になる」という単純な話ではないことです。
いつ作られたのか、継続的な記録なのか、
他の資料や第三者供述と一致するのか。
記録の信用性を周辺資料から確認している点が重要です。
② 発病時期が変わると、評価対象となる出来事も変わる
精神障害の労災では、 いつ精神障害を発病したのかが非常に重要です。
現行の認定基準では、 原則として発病前おおむね6か月の間に生じた業務による心理的負荷を評価します。
そのため発病時期が変われば、 ある重大な叱責やハラスメントが 「発病前の出来事」なのか、 「発病後の出来事」なのかが変わることがあります。
公開裁決の中には、 原処分が設定した発病時期が見直されたことで、 それまで発病後の事情として扱われていた強い叱責やハラスメントを、 発病前の出来事として評価できるようになった事案があります。
その結果、 反復・執拗な人格否定や強い叱責が、 発病に関係する出来事として改めて評価されることになります。
つまり、 「どんな出来事があったか」だけではなく、 「いつ発病したのか」という医学的前提が変わることで、 労災判断全体が変わる場合があります。
③ 「中」が複数あれば、自動的に「強」になるわけではない
精神障害の労災相談では、 「『中』の出来事が何個かあれば『強』になりますか」 と考えたくなる場面があります。
しかし、心理的負荷は単純な足し算ではありません。
29労224 では、
- 育休復職前後からの不適切な言動など
- 看護休暇取得等を理由とする降格命令
- 相談を受けた後の対応に関係する上司とのトラブル
といった出来事があり、 個別にはそれぞれ「中」と評価されました。
しかし、それらが相互に関連し、 時間的にも近接していたことなどから、 全体として「強」と評価されています。
「中+中+中=強」ではありません。
出来事同士がどのようにつながっていたのか、
時期が近いのか、
一連の職場上の問題として評価できるのか、
といった関係性を見る必要があります。
④ 労働時間は「何時間だったか」だけが争点ではない
長時間労働の事案では、 原処分で認定された時間数そのものが変わる場合があります。
26労053 では、 原処分で休憩・手待ち時間として控除されていた時間について、 実際には店舗管理者として業務から十分に解放されていなかったことなどが検討され、 労働時間の認定が大きく変わりました。
一方、 28労235 では、 原処分庁が算定した労働時間自体は大きく変更されていません。
それでも、 12日以上の連続勤務が複数回あり、 20日間の連続勤務もあったこと、 深夜を含む不規則なトラック運転だったことなどから、 連続性や休息の状況を含めた就労実態が総合的に評価されました。
つまり長時間労働では、 「月○時間」という数字だけでなく、
- 本当に休憩できていたのか
- 連続勤務がどれくらい続いたのか
- 深夜勤務があったのか
- 勤務と勤務の間に十分な休息があったのか
- どのような緊張を伴う業務だったのか
といった実態も重要になります。
⑤ 「パワハラだったか」だけを見ると見落とすことがある
26労132 は、 この点を考えるうえで興味深い裁決です。
上司による厳しい言動については認められましたが、 それ単独の心理的負荷は「中」と評価されました。
ところが、 終業時刻や休憩時間の認定が変わり、 月100時間程度を超える恒常的な長時間労働が認められたことなどから、 全体の心理的負荷が「強」と評価されました。
不支給理由が「パワハラの程度が弱い」という問題に見えても、
本当に検討すべき点がそこだけとは限りません。
労働時間、仕事量、配置転換、複数出来事との関係など、
評価全体を確認する必要があります。
⑥ 「症状が安定している」=「治ゆ・寛解」とは限らない
精神障害では、 業務起因性だけでなく、 その後の治ゆ・寛解の時期が争われることもあります。
労働保険審査会の治ゆ認定に関する裁決である 元労205 では、 専門部会意見書が診療録中の 「調子上向き」「安定している」といった記載を根拠の一つとしていました。
しかし労働保険審査会は、 主要症状の有無が具体的に十分検討されていない点を問題とし、 主治医の記載や別の医師による診療録分析なども踏まえ、 寛解・治ゆしたとは認められないと判断しました。
診療録の一つの表現だけを切り取るのではなく、 症状の内容、就労可能性、経過などを具体的に見る必要がある ことが分かります。
取消裁決に共通するのは「新しい証拠」だけではない
今回確認した取消裁決には、 録音や新たな医学的意見など、 強い追加資料が重要になった事案もあります。
しかし、それだけではありません。
すでに原処分の資料に存在していた ノート、供述、月報、勤務記録、診療録などについて、 信用性や意味付け、他の資料との関係を改めて検討したことで 判断が変わった事案もあります。
再審査請求で大切なのは、
「何か新しい証拠を探すこと」だけではありません。
原処分が、どの事実を認定し、
どの資料をどう評価し、
どの医学的前提から結論を出したのかを確認することも重要です。
では、現在の2023年認定基準でも参考になるのか
ここまで紹介した裁決の多くは、 現在の認定基準より前の時期に判断されたものです。
現在は、 令和5年9月1日付けの 「心理的負荷による精神障害の認定基準」 が適用されています。
そこで、古い取消裁決から見えてきた判断要素が 現行基準でも使えるのかを、 現在の認定基準、心理的負荷評価表、専門検討会資料などと照合しました。
| 旧裁決から見えるポイント | 現行基準との関係 |
|---|---|
| 発病時期によって評価対象となる出来事が変わる | 明確に維持 |
| ハラスメントの反復性・継続性・執拗性・指導としての相当性 | 明確に維持 |
| 複数出来事の関連性や時間的近接性を踏まえた全体評価 | 明確に維持 |
| 連続勤務・深夜勤務・勤務間隔・休日などの評価 | 明確に維持 |
| 医学的意見の前提となる発病時期・診療録・症状経過等の検討 | 明確に維持 |
| ノート・手帳等の信用性評価 | 一般的な証拠評価として参考 |
| 相談後の会社対応・是正後の継続 | 主に「出来事後の状況」として評価 |
※「明確に維持」は、古い裁決と同じ結論が当然に出るという意味ではありません。 現行基準においても、同じ観点が心理的負荷や事実認定を検討する際の重要な要素として位置付けられている、という意味です。
つまり、 古い裁決の結論をそのまま現在の事案に当てはめることはできませんが、 事実関係の確認方法や、証拠・発病時期・複数出来事・医学的前提を どう検討するかという考え方には、現在でも参考になる部分があります。
新しい裁判例でも、同じ問題が検討されている
現行基準との関係を確認するうえで、 近年の裁判例も参考になります。
名古屋地裁・令和6年12月25日判決
この判決では、 専門部会が認定した発病時期をそのまま採用せず、 就労状況、受診経過、機能の低下、主治医意見、 直前の職場での出来事などを具体的に検討して、 発病時期を改めて判断しています。
また、スマートフォンに残された遺書データについても、 作成時期、更新時刻、内容、保存状況などを検討し、 診療時の申告や職場での録音との整合性も確認しています。
紙の手帳や日記だけではなく、 デジタルデータについても、その作成経過や他資料との整合性が 事実認定上重要になり得ることが分かります。
名古屋地裁・令和7年3月26日判決
この判決では、 勤怠の自己申告だけでなく、 入退門記録、メール、PCログオフ、 同僚供述、出張先の記録などを突き合わせて 労働時間を再構成しています。
さらに、 不慣れな業務、仕事量の増加、宿泊出張、 休日のない連続勤務なども含めて、 仕事内容・仕事量の変化を総合的に評価しています。
これも、 一つの数字や一つの資料だけではなく、 複数の資料から実際の勤務状況を再構成することの重要性 を示す事例といえます。
再審査請求で確認したいのは「不支給だった」という結果だけではない
労災が不支給になると、 どうしても 「証拠が足りなかったのだろうか」 「もっと強い診断書が必要なのだろうか」 と考えてしまいがちです。
しかし、取消裁決を読むと、 確認すべきなのはそれだけではありません。
- どの時点を発病時期としているのか
- どの出来事を認定し、どの出来事を認定していないのか
- 本人の記録や第三者供述をどう評価しているのか
- ハラスメントの反復性・継続性をどう見ているのか
- 複数の出来事を個別に見るのか、一連のものとして見るのか
- 労働時間の算定で、休憩や手待ち時間をどう扱っているのか
- 医学的意見が、どの事実を前提としているのか
といった点まで、 原処分の判断構造そのものを確認する必要があります。
「録音がないから無理」とも、「診断書があれば覆る」とも言えない
今回の裁決を横断して確認しても、 「この証拠さえあれば取消しになる」という共通条件は見つかりません。
録音が重要だった事案もあれば、 本人の記録と第三者供述の整合性が重要だった事案、 労働時間の再計算が重要だった事案、 発病時期の医学的評価が変わった事案もあります。
反対に、 本人が強い苦痛を感じていたとしても、 客観的な裏付けや出来事の具体性、 心理的負荷の評価との関係によっては、 原処分が維持されることもあります。
そのため、 証拠の「有無」だけではなく、 その証拠が何を裏付け、他の資料とどうつながるのか を整理することが重要です。
古い裁決を現在の労災申請に使うときの注意点
今回確認した取消裁決の中心は、 平成23年の認定基準が適用されていた時期のものです。
その後、 令和2年にはパワーハラスメントが心理的負荷評価表の独立した項目として整理され、 令和5年9月には認定基準そのものが改正されています。
現行基準では、 カスタマーハラスメントなどの出来事が追加され、 パワーハラスメントの具体例も拡充されました。 また、精神障害が悪化した場合の業務起因性についても見直されています。
古い裁決の「結論」をそのまま現在の事案に当てはめるのではなく、
現行の認定基準に照らして、
発病時期、出来事、出来事後の状況、複数出来事の全体評価、
労働時間、医学的評価などを改めて整理する必要があります。
まとめ|再審査請求では「原処分がどう組み立てられたか」を読む
今回、厚生労働省が公開している労働保険審査会の裁決を横断して確認すると、 精神障害に関する取消事案には、 単純な一つの「勝ちパターン」があるわけではありませんでした。
一方で、
- 原処分で認定されなかった事実が認定された
- 既存資料の信用性や意味付けが変わった
- 発病時期が見直された
- 労働時間の実態が再構成された
- 複数の出来事が関連するものとして全体評価された
- 医学的意見の前提事実が再検討された
といった形で、 原処分が前提としていた事実や評価を、資料全体との整合性から組み直したことで 結論が変わった事案が確認できます。
だからこそ、 労災が不支給になったときに 「新しい証拠があるか」だけを探すのではなく、 原処分が何を認定し、何を認定せず、 どの資料をどのように評価した結果、不支給になったのか を確認することが重要だと考えています。
労災が不支給になり、審査請求・再審査請求を検討されている方へ
不支給になったからといって、 必ず審査請求・再審査請求をした方がよいとは限りません。 まずは不支給理由やこれまでの調査資料を確認し、 どこに争点があるのか、 追加で確認すべき資料があるのかを整理することが大切です。
こもれび社労士事務所では、 メンタル労災の不支給決定について、 不支給決定書やこれまでの資料を確認し、 審査請求・再審査請求で改めて確認すべき点があるかを整理しています。
LINEで相談するこの記事で確認した主な公的資料
- 厚生労働省「労働保険審査会 裁決事案一覧」
- 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準について」
- 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準に係る運用上の留意点について」
- 厚生労働省「心理的負荷による精神障害の労災認定基準を改正しました」
※本記事で取り上げた裁決は、主として平成23年認定基準の下で判断されたものです。 個別の事案については、裁決当時の認定基準と現在の認定基準を区別して検討する必要があります。 また、公開裁決から得られる情報には匿名化等による限界があります。
ここまで読んで、まだ迷っていても大丈夫です。

まずは、今の状況を整理するところからで大丈夫です
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