労災は証拠がないと無理?|録音なしでも事実が認定された裁判例を解説

労災は証拠がないと無理?録音なしで事実認定された裁判例を解説

「パワハラの録音がありません」 「LINEもメールも残っていません」 「証拠がないので、労災は無理ですよね」

精神障害の労災を検討している方から、このような相談を受けることがあります。

職場でつらい出来事が続いているときに、 冷静に録音したり、メールを保存したり、 証拠を整理したりできる人ばかりではありません。

退職してから労災申請を考え始め、 会社の資料をほとんど持っていないという場合もあります。

本人が亡くなっていて、遺族が申請を考えるケースでは、 本人から詳しい事情を聞けないまま資料を探さなければならないこともあります。

先に結論

本人の手元に録音やメールなどの直接的な資料がないからといって、 それだけで精神障害の労災請求ができなくなるわけではありません。

労働基準監督署は、請求人の説明だけを見るのではなく、 事業主、上司、同僚などへの聴取や、 勤怠記録、業務資料、診療録などの調査を行います。

ただし、これは 「証拠が何もなくても大丈夫」 「本人がそう言えば認定される」 という意味ではありません。

大切なのは、 「自分の手元に録音がない」ことと、 「事実を確認するための材料が何もない」ことを区別することです。

この記事では、厚生労働省の精神障害の労災認定実務に関する資料と、 実際の裁判例をもとに、 「証拠がない」と感じているときに何を確認すべきなのかを解説します。

1.「証拠がない」とはどういうこと?

まず、「証拠がない」という言葉を整理する必要があります。

相談者の方が 「証拠がありません」と話す場合、 実際には 「録音や動画がない」 「暴言が書かれたメールやLINEがない」 という意味であることが少なくありません。

状態 具体例 考え方
直接的な物証がない 録音、動画、暴言メール、チャット等がない それだけで請求できないわけではありません
本人以外の供述がある 同僚の目撃、上司の一部自認、相談相手の記録等 内容によって重要な判断材料になります
間接的な資料がある 診療録、日記、手帳、相談記録、勤怠等 時期や経過、説明の一貫性などを裏付ける場合があります
本人の手元にはない 会社の勤怠、PCログ、人事資料、業務日報等 事案に応じて労基署の調査で確認される場合があります
判断材料が本当にほとんどない 具体的な供述、関係者、相談記録、医療記録、業務資料等も確認できない 出来事の事実認定は難しくなります
「物証がない」と「証拠が全くない」は同じではありません。

録音がなくても、 本人の具体的な説明、同僚の供述、出来事直後の相談記録、 診療録、日記、会社に残っている資料などが 事実認定の材料になる場合があります。

2.労基署は何を調査する?

精神障害の労災請求では、 申請者が提出した録音やメールだけを見て 支給・不支給を決めるわけではありません。

厚生労働省の精神障害事案に関する調査資料では、 請求人だけでなく、 事業主、上司、同僚などの関係者から事情を確認し、 必要な資料を収集して事実関係を調査することが予定されています。

事案によって異なりますが、例えば、

  • 本人・遺族からの聴取
  • 事業主からの聴取
  • 上司・同僚・部下などからの聴取
  • 勤怠記録の確認
  • 業務日報や業務資料の確認
  • メールや端末ログ等の確認
  • 人事関係資料の確認
  • 相談記録の確認
  • 診療録や主治医意見の確認

などを通じて、 発病時期や発病前の出来事、勤務実態などを確認していきます。

本人が申請時にすべての証拠を持っている必要がある、という仕組みではありません。

例えば、勤怠記録や業務資料、会社のPCログなどは、 本人の手元にはなくても会社側に残っている場合があります。

もっとも、労基署が請求人の代わりに 無制限に「証拠探し」をしてくれるという意味でもありません。

会社側にメール、チャット、PCログ、勤怠、人事資料などが残っている可能性があります。 事案に応じて、労基署が関係者への聴取や会社資料の確認を行うため、 資料の所在や関係者をできるだけ具体的に申告することが大切です。

そのため、 「いつ、どこで、誰が、何をしたのか」 「誰が知っている可能性があるのか」 「どこに資料が残っている可能性があるのか」 を、できるだけ具体的に整理しておくことが重要です。

3.本人や同僚の供述も判断材料になる

「証拠」というと、 録音、動画、メールなどの物証だけをイメージしがちです。

しかし、精神障害の労災における事実確認では、 本人、上司、同僚、家族などの供述も判断材料になります。

もちろん、 「本人が言ったから、そのまま事実になる」わけではありません。

供述については、

  • いつ、どこで起きたのかが具体的か
  • 誰が何を言ったのかが具体的か
  • 出来事の直後から同じ説明をしているか
  • 時期によって説明が大きく変わっていないか
  • 同僚など他の関係者の説明と一致するか
  • 診療録、相談記録、勤怠等と整合するか
  • 相手方の説明に変遷や矛盾がないか

など、他の事情との整合性を含めて検討されます。

実際に、録音の存在を公表判決から確認できない一対一の会話について、 本人側の説明が採用された裁判例があります。

▶ 動画で見る|録音がなくても事実認定される?裁判例から解説

4.不支給が取り消された事例|福岡地裁2025年9月24日判決

住友林業社員自死事件

福岡地方裁判所は2025年9月24日、 24歳の営業職社員の精神障害・自死について、 熊本労働基準監督署長が行った遺族補償給付等の不支給処分を取り消しました。

この事案では本人が亡くなっていたため、 当然ながら労基署や裁判所が本人から直接事情を聴くことはできませんでした。

公表判決から録音の存在を確認することもできません。 ただし、これは「録音が存在しなかった」と断定する意味ではありません。

一方で、事実関係を確認するために、

  • タイムカード
  • 業務用端末の操作履歴
  • 携帯電話の記録
  • 営業活動日報
  • 本人の手帳
  • 本人と母親とのメール
  • 上司へのメール
  • 上司・同僚・新入社員などの供述
  • 家族・友人の供述
  • 産業医面談記録
  • 精神科医等の医学的意見

など、多数の資料が検討されました。

裁判所が認定した上司の言動

裁判所は、指導担当者について、 本人を「お前」または呼び捨てで呼ぶことや、 「もっとノリ良くしよう」 「真面目なだけじゃ駄目だ」 「もっと明るくなれ」 「気合が足りない」 などと発言したこと、 同僚の前で叱責したことなどを認定しました。

これらの言動だけを「強」のパワーハラスメントと評価したわけではありませんが、 新人を萎縮させ、自尊心を損なわせる不相当・不適切な指導として、 心理的負荷を「中」と評価しました。

長時間労働も会社側の説明どおりには認定しなかった

労働時間についても、 会社側関係者の供述をそのまま採用したわけではありません。

業務実態、本人の立場、他の新入社員の供述、 端末操作等を検討して労働時間を再計算し、 精神障害の著しい悪化前には、 直前1か月で91時間55分、 2か月前で104時間38分などの時間外労働を認定しました。

本人側の主張がすべて認められたわけでもない

ここは、この判決を見るうえで非常に重要です。

裁判所は不支給処分を取り消しましたが、 本人側が主張したすべての出来事を認定したわけではありません。

例えば、 発達障害にたとえた揶揄が継続していたという主張については、 家族や友人の供述が本人から聞いた伝聞であり、 発言者や時期の具体性が乏しいとして採用されませんでした。

その他にも、 飲食の強要や指導放棄など、 認定されなかった主張がありました。

この判決から分かること

「録音がなければ何も認定できない」ということではありません。 一方で、「本人や家族がそう話しているだけで全部認められる」わけでもありません。

供述、勤怠、端末ログ、日報、メール、医療資料などを組み合わせ、 一つ一つの出来事が具体的に検討されています。

最終的に裁判所は、 長時間労働、不相当な指導、業績上の負担などを総合評価し、 心理的負荷を「強」として、 不支給処分を取り消しました。

5.録音が確認できなくても発言が認定された事例|札幌地裁2020年1月23日判決

札幌工場障害者雇用事件

この裁判では最終的に労災不支給処分は維持されました。 しかし、 録音の存在を公表判決から確認できない一対一の会話について、 問題となった上司の発言自体は本人側の説明どおり認定されています。

障害者雇用枠で勤務していた労働者が、 仕事が少ないことを上司に訴えたところ、 上司から 「障害者の雇用率を達成するため」 という趣旨の発言をされたと主張しました。

これに対し上司側は後になって、 「達成するため」ではなく 「アップさせるため」と言ったとの説明をしました。

なぜ本人側の説明が採用されたのか

裁判所が重視した事情の一つが、 出来事に近い時期から同じ内容が記録されていたことです。

本人は問題となった発言の3日後、 就労支援機関の担当者に、 「障害者の雇用率を達成するためと言われた」 という趣旨の相談をしていました。

さらに、後に友人へ送った手紙にも 同趣旨の記載がありました。

加えて、上司自身も、 死亡から1年未満の労基署職員による聴取では、 「達成するため」という趣旨の発言を認めていました。

その後、上司の説明が変化したことも踏まえ、 裁判所は後の説明を信用せず、 本人側が主張した発言があったと認定しました。

録音以外にも、事実を確認する材料はあります。
  • 出来事直後の相談
  • 相談担当者が残した記録
  • 時間が経っても一貫した本人の説明
  • 友人への手紙
  • 相手方の当初の説明
  • 相手方供述の変遷

6.「出来事があった」と「労災になる」は別

札幌地裁の事例には、 もう一つ非常に重要なポイントがあります。

裁判所は問題となった上司の発言自体は認定しました。

しかし、その発言について 心理的負荷は「中」にとどまると評価し、 最終的には労災不支給処分を取り消しませんでした。

出来事が事実と認定されることと、精神障害が労災認定されることは別の問題です。

まず「何が起きたのか」を確認し、 そのうえで、その出来事が認定基準上どの程度の心理的負荷だったのか、 発病との関係はどうかなどが検討されます。

したがって、 「録音がないけれど発言を認めてもらえるか」 だけではなく、

  • どのような内容だったのか
  • 一回だけか、繰り返されたのか
  • 他の職員の前だったのか
  • その後も状況が続いたのか
  • 会社がどのような対応をしたのか
  • 他にも心理的負荷となる出来事があったのか

なども重要になります。

▶ 1分で見る|発言は認定、それでも労災不支給?

7.録音がないときに確認したい資料

録音や暴言メールを持っていない場合でも、 すぐに「証拠がない」と結論を出す必要はありません。

例えば、次のようなものが残っていないか確認してみてください。

  • 当時、家族や友人に相談したLINE・メール
  • 相談した相手との通話履歴
  • 医師やカウンセラーに話した内容
  • 診療録や診断書
  • 薬が増えた時期が分かる記録
  • 日記、手帳、カレンダー、スマートフォンのメモ
  • タイムカードや給与明細
  • PCログや入退館記録
  • 業務日報・週報
  • 上司からのコメント
  • 業務量や担当変更が分かる資料
  • ハラスメント相談窓口への相談記録
  • 労働組合への相談記録
  • その場にいた同僚・関係者

さらに、 本人が持っていなくても、 会社側にメール、チャット、PCログ、勤怠、人事資料などが残っている可能性 もあります。

「自分のスマホに何も残っていない」=「証拠が存在しない」ではありません。

まずは、 誰が知っている可能性があるか、 どこに資料が残っている可能性があるかまで含めて整理することが大切です。

8.申立てでは「評価」より「事実」を書く

録音などの直接資料が少ない場合ほど、 本人の説明の具体性は重要になります。

例えば、

「上司から毎日のようにひどいパワハラを受けました」

だけでは、 具体的に何が起きたのかが分かりません。

それよりも、

「○月頃、朝礼後の事務室で、上司Aから○○と言われた。同席していたのはBさんとCさんだった。その日の昼休みに家族へLINEで相談した」

というように、

  • いつ
  • どこで
  • 誰から
  • 何を言われた・されたのか
  • 誰がその場にいたのか
  • 直後に誰へ相談したのか
  • その後どのような体調変化があったのか

を分けて整理した方が、 その後の調査につながりやすくなります。

正確な日付を思い出せない場合に、 無理に日付を作る必要はありません。

「○月上旬頃」 「異動後まもなく」 「○○会議の翌日頃」 など、 分かる範囲と分からない範囲を分けて整理することも大切です。

9.まとめ|録音がないだけで諦めない

精神障害の労災では、 録音やメールなどの直接的な物証が重要な資料になることは間違いありません。

残っているのであれば、 適法に確保できる資料はできるだけ保管しておく方がよいでしょう。

しかし、 録音や暴言メールを本人が持っていないというだけで、 「労災申請は無理」と決まるわけではありません。

労基署は、 本人・遺族の説明だけでなく、 会社、上司、同僚などへの聴取や、 勤怠、業務資料、診療録なども確認しながら事実関係を調査します。

実際の裁判でも、 録音の存在を確認できない会話について、 出来事直後の相談記録や相手方の供述の変遷などから、 本人側の説明どおりの発言が認定された例があります。

一方で、 真に何の判断材料もなく認定されるわけではありません。

また、出来事そのものが事実と認められても、 その心理的負荷が認定基準上「強」に達しなければ、 精神障害が労災として認定されない場合もあります。

大切なのは、「証拠がない」と最初から諦めることではありません。

まず、 自分の手元にある資料だけでなく、 誰が出来事を知っているのか、 当時誰に相談したのか、 病院で何を話したのか、 会社にどのような資料が残っている可能性があるのか を整理してみることです。

「録音もメールもない」と悩んでいる方へ

こもれび社労士事務所では、 精神障害の労災について、 出来事の時系列、医療記録、勤務状況、 相談記録、会社側に存在する可能性のある資料などを確認しながら、 申請に向けた整理を行っています。

初回のご相談では、録音やメールの有無だけで結論を出しません。 いつ、誰に、何を相談したか、受診・欠勤・異動・業務量の変化などを一緒に時系列で整理します。

「証拠がないから無理だと思っている」 「何を探せばいいのか分からない」 「体調が悪く、自分だけでは整理できない」 という段階でもご相談いただけます。

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参考資料

※本記事は、公表されている厚生労働省資料・裁判例等をもとに、 精神障害の労災における事実確認の一般的な考え方を整理したものです。 個別事案の労災認定を保証するものではありません。 また、公表判決に録音等への記載がない場合でも、 その資料が実際に存在しなかったと断定できるものではありません。

ここまで読んで、まだ迷っていても大丈夫です。

まずは、今の状況を整理するところからで大丈夫です

「まだ相談するか決めていない」
「何を書けばいいか分からない」
そんな段階でも大丈夫です。

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